武将印について
- 放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)に登場する源頼朝、和田義盛、三浦義村など、三浦市にゆかりのある人物についての武将印を(一社)三浦市観光協会が販売します。
- 源頼朝の武将印には頼朝が当時訪れたと伝えられる花の三御所(見桃寺、本端寺、大椿寺)の各花(桃、桜、椿)と海南神社のイチョウのイラストを、三浦一族の武将印には家紋である三つ引きをそれぞれあしらい、市内在住の書道家・袖山翠碩(そでやま すいせき)氏が一枚一枚武将名を筆耕した、力強く温かみのある作品となっています。
- 台紙は、SDGsの取組として三浦野菜の収穫後の茎や蔓などの残渣を約3割使用し、山梨県の伝統工芸「西島手漉和紙」を用いた、独特の風合いのある和紙です。

販売開始
- 令和4年11月1日(火曜日)から限定100枚先行販売(初回販売分限定100枚につきましては好評につき完売しました!)
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次回の再販時期については下記サイトでご確認ください。
販売場所
1.三浦市観光インフォメーションセンター(神奈川県三浦市南下浦町上宮田1450-4)
- 9時00分~17時30分
- 休業日:無休(年末年始を除く)
2.三崎口駅前観光案内所(神奈川県三浦市初声町下宮田495 京急線「三崎口駅」改札外)
- 9月:9時30分~17時30分
- 10月~3月:9時30分~17時00分
- 休業日:無休(年末年始を除く)
武将説明
源頼朝 (1147~1199年) |
鎌倉幕府の初代征夷大将軍。 伊豆で北条時政や北条義時らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧し、全国の武士を支配する政権を開きました。 |
三浦義澄 (1127~1200年) |
「十三人の合議制」の構成員。 三浦郡を本拠とした三浦氏の一族で、石橋山の合戦で安房国に敗走した頼朝を助けました。 死後は、息子の義村が北条氏に協力しながら、勢力を強めていきました。 |
三浦義村 (1168~1239年) |
三浦義村は、鎌倉時代初期の相模国の武将。 鎌倉幕府の有力御家人。桓武平氏良文流三浦氏の当主・三浦義澄の次男(嫡男) |
和田義盛 (1147~1213年) |
「十三人の合議制」の構成員。頼朝が鎌倉を拠点に定めると初代侍所別当(長官)に。 頼朝の死後、北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ敗死、和田一族も滅亡しました。 |
三浦道寸 (1451~1516年) |
三浦義同(みうらよしあつ)は、戦国時代初期の武将。東相模の大名。一般的には出家後の「三浦道寸」の名で呼ばれることが多い。相模三浦氏の事実上の最後の当主である。 三浦市では、祖霊の眠りの安らかならんことを祈ると共に、三浦一族のお家芸であった笠懸を開催することにより、この地に残された文化、遺産を広く世に紹介し、かつ、観光振興の一助とするため、道寸祭りを挙行しております。 |
「いざ、三浦!三浦市観光促進キャンペーン」も開催中
- 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)の放送を契機として神奈川県が実施する「いざ、神奈川!デジタルラリー」(8月5日~12月26日)と合わせて、三浦観光情報発信協議会(京浜急行電鉄株式会社、(一社)三浦市観光協会、三浦市)では「いざ、三浦!三浦市観光促進キャンペーン」を実施しています。
- 武将印販売を記念して、現在実施中の「いざ、三浦!三浦市観光促進キャンペーン」において、参加賞のロディアオリジナルノートの提供と合わせ、武将印(全5種類のうち1枚)を先着5名にプレゼントします。
- 「いざ、三浦!三浦市観光促進キャンペーンサイト」(別ウィンドウで開きます)

- この機会に、ぜひ三浦市へお越しください!
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この記事に関するお問い合わせ先
三浦市役所 経済部 もてなし課(観光担当)
電話番号:046-882-1111(内線77323・77324)
ファックス番号:046-882-5010
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更新日:2022年12月22日