武将印について

更新日:2023年10月11日

武将印

武将印販売について

  • 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送を契機として、令和4年11月1日から、源頼朝、和田義盛、三浦義村など、三浦市にゆかりのある人物についての武将印を(一社)三浦市観光協会が販売開始しました。
  • 源頼朝の武将印には頼朝が当時訪れたと伝えられる花の三御所(見桃寺、本端寺、大椿寺)の各花(桃、桜、椿)と海南神社のイチョウのイラストを、三浦一族の武将印には家紋である三つ引きをそれぞれあしらい、市内在住の書道家・袖山翠碩(そでやま すいせき)氏が一枚一枚武将名を筆耕した、力強く温かみのある作品となっています。
  • 台紙は、SDGsの取組として三浦野菜の収穫後の茎や蔓などの残渣を約3割使用し、山梨県の伝統工芸「西島手漉和紙」を用いた、独特の風合いのある和紙です。
  • また、令和5年6月より、「行書体」と「隷書体」2種類の書体を新たに揮毫していただき、引き続き販売しています。

販売価格

各500円(税込)

販売場所

三浦市観光インフォメーションセンター(神奈川県三浦市南下浦町上宮田1450-4)

  • 9時00分~17時30分
  • 休業日:無休(年末年始を除く)
  • 電話番号046-888-0588

詳細については下記ホームページをご確認ください。

武将について

武将説明

源頼朝

(1147~1199年)

鎌倉幕府の初代征夷大将軍。

伊豆で北条時政や北条義時らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧し、全国の武士を支配する政権を開きました。

三浦義澄

(1127~1200年)

「十三人の合議制」の構成員。

三浦郡を本拠とした三浦氏の一族で、石橋山の合戦で安房国に敗走した頼朝を助けました。

死後は、息子の義村が北条氏に協力しながら、勢力を強めていきました。

三浦義村

(1168~1239年)

三浦義村は、鎌倉時代初期の相模国の武将。

鎌倉幕府の有力御家人。桓武平氏良文流三浦氏の当主・三浦義澄の次男(嫡男)

和田義盛

(1147~1213年)

「十三人の合議制」の構成員。頼朝が鎌倉を拠点に定めると初代侍所別当(長官)に。

頼朝の死後、北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ敗死、和田一族も滅亡しました。

三浦道寸

(1451~1516年)

三浦義同(みうらよしあつ)は、戦国時代初期の武将。東相模の大名。一般的には出家後の「三浦道寸」の名で呼ばれることが多い。相模三浦氏の事実上の最後の当主である。

三浦市では、祖霊の眠りの安らかならんことを祈ると共に、三浦一族のお家芸であった笠懸を開催することにより、この地に残された文化、遺産を広く世に紹介し、かつ、観光振興の一助とするため、道寸祭りを挙行しております。

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この記事に関するお問い合わせ先

三浦市役所 経済部 もてなし課(観光担当)
電話番号:046-882-1111(内線77323・77324)
ファックス番号:046-882-5010

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