発掘調査のあゆみ

更新日:2022年12月22日

発掘調査の歴史

赤坂遺跡が最初に発見・紹介されたのは、明治30(1897)年に刊行された『日本石器時代人民遺物発見地名表第2版』(東京帝国大学編)に「相模国三浦郡初声町村大字下宮田字飯盛台土器、石鏃、打石斧」の記述とされています。
そして、御用邸道路を作る際に、赤星直忠氏が断面に竪穴住居址を発見し、宮ノ台・久ヶ原式土器を採集したことを『赤星ノート』記載しました。
昭和23・24(1948・1949)年には、川上久夫氏らによる試掘調査が行われ、昭和41(1966)年には立教大学による調査が行われ、多数の竪穴住居址が検出されました。その後、赤坂遺跡の集落全容解明のため昭和52(1977)年に三浦市教育委員会と横須賀考古学会による本格的な調査(下表の第1次調査)が実施されました。調査にあたっては、横須賀考古学会の会員が中心となり、赤坂遺跡調査団を組織し、団長には当時考古学会の会長であった赤星直忠氏が務めました。
この調査により、70,000平方メートル(東京ドーム約1.5個分)もの広大な範囲に広がる関東屈指の遺跡であることが判明しました。
これ以降も、岡本勇氏、中村勉氏などが団長を務め、深耕事業(天地返し)や宅地開発等に伴い継続的に調査が行われ、平成19(2007)年には第24次調査が行われるに至っています。

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