三浦市内の北原白秋の詩碑・歌碑

更新日:2022年12月22日

「城ヶ島の雨」詩碑

雨はふるふる城ヶ島の磯に利休鼠の雨がふる

雨は眞珠か夜明の霧かそれともわたしの忍び泣き

舟はゆくゆく通り矢のはなを濡れて帆あげたぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気

雨はふるふる日はうす曇る舟はゆくゆく帆がかすむ

「城ヶ島の雨」は大正二年恰度私が相州三崎の城ヶ島の前に住んでゐた頃、芸術座音楽会のために舟唄として作ったものである。この舟唄は梁田貞氏の作曲で、その会で唄はれた。近頃聞けばかの地では今は船頭たちまで唄ってゐるさうである。さうなってくれるとうれしい。(大正8年白秋小唄集覚え書より)

昭和24年7月10日、建碑が除幕されました。高さ3メートル余、下太の帆型の根府川石で、城ヶ島の雨の一節の草書は白秋の自筆です。
昭和35年4月17日、城ヶ島大橋架橋により現在地に移転され、梁田貞の譜碑が添えられました。

この詩碑は、白秋謝恩の文学記念碑として本来第1号の碑となるはずでしたが、戦時中、城ヶ島は要塞地帯に指定されたため実現しませんでした。白秋が生前希望した「帆型の石が荒磯に突き差したように」を具現して建てられました。

「城ヶ島の雨」は、大正2年10月27日夜、東京から催促に見桃寺を訪れた岩崎雅道に渡したと言われています。
大正2年10月30日、東京有楽座で作曲者梁田自身の独唱で発表されました。

[所在地:三浦市三崎町城ケ島]
交通案内:京浜急行三崎口駅よりバス城ヶ島行き「白秋碑前」下車徒歩5分

晴天の砂浜の上に大きな石碑が建てられている写真

「見桃寺」の歌碑

寂しさに秋成が書読みさして

庭に出でたり白菊の花

見桃寺に於ける私のささやかな歌碑の除幕旁々、この月の二日より三日にかけて、多磨の三崎吟行会が催された。幸いに好天に恵まれて、明るく親しく、また虔ましい行事を滞りなく済ますことができた。簡素な見桃寺の庭の一夕は、私の短歌史の上に意義ある関りを持つことにならう。
世の軽薄を戒めた秋成の菊花の約の條は、いたく新しく胸を撲つ。はじめて読みさした書の何であるかを理会してもらへてうれしかった。感懐はいろいろ深く、興趣は亦尽きなかった。三崎の人々には謝辞を申述べたい。
(昭和16年12月多磨より)

昭和16年11月2日、白秋臨席で除幕されました。秩父産自然石で高さ1メートル・横1メートル余で、字体は白秋直筆の草書です。(白秋碑第1号)
白秋は三崎時代の後半5ヶ月をこの見桃寺に仮寓しましたが、白秋の生涯にとって、歌歴の中に特筆される時代でした。
三崎の文学青年達の熱望によって白秋が筆をとった最初の碑であり、白秋が自ら主席して除幕した碑はこの歌碑のみでした。

[所在地:三浦市白石町]
交通案内:京浜急行三崎口駅よりバス浜諸磯行き「二町谷(ふたまちや)」下車徒歩5分

多くの木が植えられた庭に石碑が置かれている写真

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三浦市役所 市民部 文化スポーツ課(文化担当)
電話番号:046-882-1111(内線411・412・427)
ファックス番号:046-882-1160

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