【観光解説板】和田城址
和田小太郎義盛は十六才の秋、父の死をさかいに鎌倉杉本城から和田に移り、このあたりは義盛の居館があったところです。
義盛が和田ノ里に館をおいた。その頃すでに和田は三浦半島有数の穀倉地帯であったために、このあたりが領民を守り、水田を管理するにも地の利を占めていたともありました。
義盛は和田を終生の根拠地と定め合戦にのぞんでこの地から多くの兵士が出陣し、食糧が戦陣におくられるなど重要な役割を果たしていたところです。
現在、和田館はその跡をとどめていないが、この館を囲むようにして木戸脇、唐池(空池)、出口、赤羽根、矢作などの地名が残っていて住時を偲ぶことができます。
また、和田館には木曽義仲の妾己御前が義盛に預けられここで余生を送ったといわれます。
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更新日:2024年03月13日