【観光解説板】新井城址
三浦一族滅亡の地である新井城は、面積約128ヘクタールの自然をそのまま利用した要害でした。
相模湾に突出したこの一帯は、小網代湾と油壺湾にはさまれ、三方が海に面した断崖であり、陸路は、北方約3キロメートルの大手の引橋のみであり、この橋を切って落とせばどこからも攻めこまれないようになっていました。
引橋は後に地名になりましたが、ここで伊勢新九郎(北条早雲)勢は、橋を引かれて渡ることが出来ず、三浦勢に時を稼がれています。
現在は、関東大地震による隆起で、往時の面影はうすらいでいますが、当時としては多くの軍勢をもってしても攻めがたく、わずかの手兵で三年間籠城することができました。三浦一族の奮闘もさることながら、城としても、守りにすぐれた構えであったといえます。
室町時代の居館としての新井城の遺構は、本丸を中心にめぐらされている空掘や土塁に往時を偲ぶことができます。
(観光解説板の内容を掲載しています。)
地図情報
関連ページ
関連リンク スクロールすると続きが表示されます
この記事に関するお問い合わせ先
三浦市役所 経済部 観光商工課(観光担当)
電話番号:046-882-1111(内線77323・77324)
ファックス番号:046-882-5010
お問い合わせフォーム
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2024年03月13日