【観光解説板】通り矢
通り矢と城ヶ島辺に降る雨の
間の入海舟わかれゆく
しみじみと海に雨ふり澪の雨
利休ねずみとなりけるかも
白秋が住んだ大正の初め、新しいイカ漁法が開発されるなど沿岸漁業は黄金期を迎えようとしていました。一日のイカ漁を終え、白帆をあげた漁船の群れが通り矢の鼻を次々と駆けぬけていく様子は、当時三崎漁港ならではの風物詩でありました。
通り矢は白秋が最初に居を構えた向ヶ崎異人館の正面にあり、朝夕の散歩道でもあり、見事なスケッチも描いています。
「通り矢」の地名
永正十三年(一五一六)七月十一日、新井城(油壺周辺)が落城して三浦氏が滅亡したあとの三崎は、北条早雲が支配するようになりましたが、その後、安房(千葉県南部)の里見義弘がこの良港三崎をねらい、弘治二年(一五五六)三月、里見軍は兵船八十余隻をもって三崎に来襲しました。
以来、幾度か争いが繰り返されましたが、その際、里見の兵の矢が海峡を射通したので「通り矢」の地名がついたといわれています。
また一説には、源頼朝が三崎に遊覧したとき、この通り矢から対岸の城ヶ島の遊ヶ崎へと見通す岩礁、矢立ヶ根に的を立てて小笠懸をして遊んだ。この時、矢が間を通ったので地名になったとも伝えられています。
(観光解説板の内容を掲載しています。)
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更新日:2024年03月13日