【観光解説板】海防陣屋跡

更新日:2024年03月13日

所在地、三浦市南下浦町上宮田字大芝原
弘化四年(一八四七年)徳川幕府が当時異国船渡来に怯えて、急ぎ江戸湾(東京湾)防備に着手した当時、三浦半島の警備を命ぜられた彦根藩主井伊掃部頭直弼が赴任に当り上宮田に三浦郡、鎌倉郡の軍政の本拠をおいたところを海防陣屋と呼びます。浦賀千代ヶ崎、鶴崎、千駄ヶ崎、箒山、大浦山、剱崎、安房ヶ崎、荒崎、八王子山(腰越)の九ヶ所に砲台を構築しました。また、三崎の城山と原に陣屋の分営を設けて警備に当たりました。
嘉永六年(一八五三年)に長州藩が交代し、さらに安政五年(一八五八年)には熊本藩にかわり、その後浦賀奉行に移管されました。この十年間にわたって、領地の行政官庁もここにありました。
規模としては、
総面積 九、七八〇坪(三二、二七四平方メートル)
建物面積 一、五一五、五坪(五、〇〇一、二平方メートル)
建物 三十七棟
警備人員 彦根藩 二、一九八人
長州藩 約九〇〇人
熊本藩 不明
最初に警備に当った彦根藩の頃は、苦しい財政でしたが、長州藩にいたって善政が行われたため、熊本藩と交代の時は、三浦、鎌倉両郡の名主、村役人から留任の願書が出されたほどでした。明治維新の改革に献身した桂小五郎(後の木戸孝充、二十一才の時)や、伊藤俊輔(後の伊藤博文、十六才の時)は、この陣屋に勤めていたということです。この陣屋に関連のある地名としては、付近に陣屋川、御殿山、鉄砲場、焰硝倉、加賀様の馬小屋などの名が残っています。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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