【観光解説板】笹塚不動尊

更新日:2024年03月13日

十却寺は、浄土宗正覚山成等院と号し、土地の豪族である二代松原新左衛門を開基とし、芝西応寺の住職巌誉が退隠後、このお寺を開きました。本尊は阿弥陀如来です。
客仏の笹塚不動明王は、昔、上宮田水深の西方(現在の上宮田小学校敷地内)の小高い丘に不動堂があり、明治末頃まで、その本尊として祀られていました。この地を「笹塚」と称していました。
この不動尊は、天文十五年(1546年)、泉円の作であることが像に書かれた銘文から分かります。
永録十年(1567年)九月に里見氏が海を渡って当地に来襲した際、これを北條氏が三崎水軍を率いて菊名沖に迎え撃ちました。
その時、突然の荒天に襲われ、北条の軍船は進退極まってしまいました。この時、土地の豪族初代松原新左衛門が海岸に火を焚いて目標としたので、北条軍は無事海岸に着くことができました。そして、風雨の治まった翌日に、ふたたび北条軍は沖の里見勢を攻め、大勝しました。
氏康は、新左衛門の功をたたえ感状をさずけました。これを喜んだ新左衛門は、日頃信仰する笹塚不動尊で神楽を奏して、この感状を披露したと伝えられています。
明治元年(1868年)の神仏分離令により、それまで祀られていた笹塚の不動堂から十劫寺へ移され、以降大切に守られてきました。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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