【観光解説板】入江新田と矢作

更新日:2024年03月13日

昔からこの附近は低地で、入江が深く宮田湊、矢作湊と呼ばれるところで耕作がむずかしい湿地でした。
そこで宝永五年(一七〇八年)十一月、和田村、赤羽根村、竹の下村、下宮田村の各名主や年寄達が協議して、太田和村(横須賀市武山)の山田惣左衛門、六郎右衛門等による改良工事が行われたもので、三十年の後、元文三年(一七三八年)に完成して入江新田という村を成したものです。しかしその間、惣左衛門は病死してその子儀左衛門がこれを引継ぎ、親子二代にわたる大干拓事業でありました。
工事としては、長さ二百二十間(四〇〇メートル)高さ九尺(ニ、七メートル)の堤をつくり、汐入をとめて耕地とし、その面積実に十五町歩(約一五ヘクタール)以上に達したといいます。
また、この入江新田の西の地域を矢作といい、伝説によりますと、鎌倉の武将和田義盛が、ここで矢を作っていたので、その名があると伝えられています。
なお、現在この地の西崖に残る洞窟はほとんどが古墳後期(七世紀頃)の横穴の墳墓で、それは、西の台地にある蛇塚(円墳)を中心としてその頃の集落があったことを物語るものです。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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