【観光解説板】会津藩士の墓

更新日:2024年03月13日

二百数十年に及ぶ間、鎖国を続けていた徳川幕府は、黒船の来航でついに泰平の夢破れ、江戸の安全をはかるため、当時の雄藩のひとつであった会津藩に命じて文化八年(一八一一年)東京湾の最先端である三崎のここ城山に陣屋を設け、さらに城ヶ島安房崎に大筒三門とのろし一門を据え防備にあたらせました。
藩士達は、それから長い間、任についていましたが病を得て望郷のうちに淋しく三崎の土になった武士やその家族も多く、葬られた墳墓はここに三十七墓を数えます。
また、後には現在の三浦海岸駅近くの南下浦市民センターのある場所にその本営が置かれ、以来、明治維新まで長州藩などが任にあたり、明治の元勲伊藤博文等も大志を秘めて勤務につき、三崎街道に馬を馳っていくたびか往来したものであります。
なお、このほかに当時東京湾の防備についた諸藩の人々の墓石が市内の寺に散在しています。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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