【観光解説板】和田義盛の碑(旧里碑)

更新日:2024年03月13日

鎌倉武士の栄枯盛衰の典型的な例は和田一族であるといわれています。一族を率いた和田義盛は、鎌倉幕府創建の功労者、半島の剛勇三浦大介義明の孫に生まれ、当三浦市初声町和田を領したことから和田氏を名乗り、武勇はことのほか勝れ、弓矢にかけてはこの右にでる者がない程でした。
頼朝挙兵に参加したとき、義盛は三十四才でしたが、以後大いに活躍、鎌倉建府の大立物でした。その功によって最高職の侍所の別当に任ぜられ、頼朝、頼家、実朝の三代にわたって忠誠をつくしたが、退潮する源氏に替って天下をねらう北条氏とことごとに対立するようになり、ついに北条義時の挑発と策謀にのり、いわゆる「建保の乱」を起しましたが、同志と信じていた同族の三浦義村の北条方への寝返りもあって、建保元年(一ニ一三年)五月四日、鎌倉由比ヶ浜で北条氏のために滅されてしまいました。
時に義盛六十七才、この石碑は武将和田義盛の在所と思われるこの地に郷土の武人として、悲運の最後を偲びその武勇をたたえて大正十年三月に建立されました。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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