【観光解説板】三浦道寸の墓

更新日:2024年03月13日

新井城主三浦道寸義同は鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族最後の当主となりました。三浦一族は始祖為通にはじまり鎌倉時代には北条氏とともに幕府を二分して覇権を争ったことはよく知られています。この間、和田の乱(和田義盛滅亡)宝治合戦(三浦泰村滅亡)などいく度か興亡を繰り返し四五〇年の後、奇しくも同じ北条を唱える伊勢新九郎(北条早雲)と戦い、戦国争乱の世の露と消えました。
永正九年(一五一ニ年)北条早雲は岡崎城(平塚市伊勢原市両市にまたぐ)から住吉城(逗子市)などにつづいて三浦氏を新井城(油壺)に攻めました。
そして日本籠城史でもまれな凄惨な攻防は三年にわたり、永正十三年七月十一日義同以下城兵ことごとく決戦にのぞみ、ここに、さしもの三浦氏はその歴史を閉じました。
(義同辞世の歌)
討つものも討たるるものもかわらけよ
砕けて後はもとの土くれ

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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