【観光解説板】歌舞島

更新日:2024年03月13日

鎌倉時代、すでに三崎は、鎌倉幕府の行楽の地として、源頼朝公をはじめとして多くの幕官が来遊していました。ここ歌舞島も頼朝公が歌舞宴楽を催したところからこの名が残されています。また一説には、三浦義村の招きで当地を訪れた将軍藤原頼経が来迎(極楽から仏を迎える)の儀を行い、読経歌舞を催したところからその名が伝えられたともいわれています。
この歌舞島を土地の人は訛って「かくじま」と呼んでいますが別名兜島ともいい、往時は兜に似た離れ島でありました。
それが地殻の隆起によって現在のように海岸に突出した陸つづきの小丘となったのです。
このあたり一帯の磯は、岩礁の変化と男性的な海岸美で知られ、荒天どき千様万能の磯岸に挑んで白く砕ける黒潮の雄大さは、水煙千丈とでも形容すべきでありましたが、現在は埋め立てられており、その情景を見ることはできません。
また、頂上から眺める霊峰冨士や相模湾の夕映えは天下の絶景です。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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