【観光解説板】筌龍弁財天

更新日:2024年03月13日

治承四年(一一八〇)源頼朝の挙兵に際し三浦大介義明、義澄父子は当社に参詣し「神事狐合」(白と赤の狐が闘い白狐が勝った)で源平の争覇を占い、神意により源氏の再興を信じ頼朝側に荷担し、和田義盛と供に衣笠城に立籠り、畠山重忠ら平氏の軍勢と戦いましたが落城、義盛の一党は久里浜から海路房州に逃れんとしました。その時、折悪しく暴風に襲われて海上を漂流、まさに兵糧尽きなんとした時、龍神に祈ったところ筌(竹で編んだ籠で水中につけておきいったん入った魚は出られなくしてある漁具)という漁具が流れ来たのでこれを用いて魚を採って飢えをしのいだとの事があり、後に、建久三年(一一九ニ)鎌倉幕府が開府し、義盛は別当職に就任しましたが或る春の一夜、筌が昇天して龍と化した夢を見て一念発起し、陣地であるこの地に筌を弁財天として祀ったのがこの筌龍弁財天の縁起とされています。
弁財天には、二臂弁財天と八臂弁財天とがありますが、この弁財天は八臂で八本の手を持ち、左手に弓、刀、斧、羂索を、右手に箭、三鈷戟、独鈷杵、輪を持ち、また琵琶を引き、大漁満足、福徳財宝、容色端正、弁智増上、芸能上達などの御神徳を叶える弁財天として変わった形の女神です。

(観光解説板の内容を掲載しています。)

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