三浦市について
歴史
三浦市の歴史は古く、市内には古代、縄文、弥生、古墳時代の遺跡が広く分布しています。
鎌倉時代初期には、和田義盛をはじめとする三浦一族が活躍し、また、この時代は三崎に桜、椿、桃の三つの御所が開かれ、源頼朝をはじめとして多くの要人が来遊しました。
江戸時代には港町としてにぎわい、次第に漁港としての整備が進み、これが近年における遠洋漁業基地としての都市形成の基礎を築いたといえます。
その後、昭和30年1月1日に三崎町、南下浦町、初声村が合併して「三浦市」となり現在に至っています。
沿革
主な三浦市の沿革・三浦市内の出来事
昭和30(1955)年
三浦市市制施行
昭和35(1960)年
城ヶ島大橋開通
昭和41(1966)年
京浜急行電鉄久里浜線「三浦海岸駅」開業
昭和43(1968)年
京急油壺マリンパーク開業
昭和49(1974)年
長野県・須坂市と姉妹都市提携
昭和50(1975)年
京浜急行電鉄久里浜線「三崎口駅」開業
平成3(1991)年
平成4(1992)年
オーストラリア・ウォーナンブール市と姉妹都市提携
平成7(1995)年
三浦市交通安全都市宣言
平成13(2001)年
三崎フィッシャリーナウォーフ・うらりオープン
平成16(2004)年
アメリカ合衆国・ホノルル市と友好都市宣言
平成18(2006)年
東京都千代田区に東京支店「なごみま鮮果」開店
平成21(2009)年
チャッキラコがユネスコ無形文化遺産登録
平成24(2012)年
神奈川県から新たな観光の核づくりに認定
三浦ご当地キャラクター「三浦ツナ之介」誕生
平成25(2013)年
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにて城ヶ島が二つ星で紹介
平成26(2014)年
小網代の森一般開放開始
平成27(2015)年
三浦海岸ご当地キャラクター「みうらん」誕生
平成30(2018)年
三浦市低温卸売市場竣工
平成31(令和元年)(2019)年
三浦市民交流センター(ニナイテ)開設
令和2(2020)年
「ゼロカーボンシティみうら」宣言
三浦縦貫道路が初声町高円坊まで開通
令和3(2021)年
京急油壺マリンパーク閉館
令和4(2022)年
三浦市が提唱した「海業」が水産基本計画及び漁港漁場整備長期計画に位置付けられる
令和5(2023)年
三浦市公共下水道(東部処理区)運営事業(コンセッション方式)開始
川村エミコ氏「みうら観光大使」委嘱
令和6(2024)年
三浦市子育て賃貸住宅等(チェルSeaみうら)完成
神奈川版ライドシェア「かなライド@みうら」運行開始
三浦市章(昭和31年1月20日制定)
『みうら』の『み』を鮪2尾、大根2本で図案化したもの。
生産都市三浦を象徴しています。
三浦市の花・木・鳥(昭和50年6月6日制定)
三浦市の花
温暖な砂地に7月から9月にかけて開花するヒガンバナ科の大型の常緑多年草。三浦市にゆかりのある北原白秋は、晩夏を表す季語として歌の中に詠んでいる。
三浦市の木
海辺を中心に分布しているマツ科の常緑高木。和田海岸では、松林から青い海へと続くコントラストを楽しむことができる。城ヶ島にはかつて水っ垂れのくろまつがあり、その根元の清水を源頼朝が茶や硯の水に使用したという伝説がある。
三浦市の鳥
うみう
水に潜って魚を捕らえるウ科の鳥。城ヶ島南面の赤羽海岸の切立った断崖は、毎年初冬から春にかけて多くが飛来し、繁殖地となっており、「城ヶ島のウミウ、ヒメウ及びクロサギの生息地」は県の天然記念物に指定されている。
三浦市歌(昭和60年5月28日制定)
- 希望あふれて 太平洋は
われらが前に 発刺かがやく
わが三浦市は 躍進の町
海は豊漁 陸(おか)にはみのり
理想に燃えて 日毎のびゆく - 映えよ大橋 光を浴びて
仰げば清し 白亜の灯台
わが三浦市は 観光の町
島は常春 八重水仙の
花咲くなぎさ 潮あたらし - 松のそよ風 由緒の鐘も
昔の夢を つたえてはるかに
わが三浦市は 伝統の町
英気みなぎり 人あたたかに
文化を築く 力あつまる
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この記事に関するお問い合わせ先
三浦市役所 政策部 政策課(秘書担当)
電話番号:046-882-1111(内線215・216・520)
ファックス番号:046-882-2836
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更新日:2024年11月29日